自営業の独り言 Part3

思ったことをただ好きに書く独り言ブログです

思い出とさよなら

皆さんこんにちは。

年が明けて、1月ももう下旬になりましたね。

日本海側にお住いの皆様、大雪大丈夫でしたでしょうか?

私の住む街も大雪が予想されて、備えて下さいみたいなお知らせが気象庁自治体からありまして、一応暖房用の灯油の予備の準備とか、停電に備えてキャンプ用に買っていたポータブル電源を満充電にしたり、念のためにインスタント食品を買い込んでおいたりと色々しました。

幸いなことに予想をはるかに下回る降雪だったので、我が家は家の前を走ってくれた除雪車の後の雪を片づける程度で済みましたが、北陸とかはかなり酷かったようで…。

雪の大変さを知っているだけに、1日中雪かきに追われる大変なご苦労、心よりお察し申し上げます、本当に。

 

ちなみに、我が家では暖房に基本石油ファンヒーターを使っていますが、電気が止まると当然ながら一切使えません。

今のファンヒーターを買う前に使っていた反射板式の石油ストーブを奇麗にして残してまして、これなら乾電池かマッチ1本で点火して電気ナシで暖房が出来ます。

数年前に大雪で大規模停電が起きて、長いところだと1週間近く停電していた地区もあったんですが、その時はホームセンターからこのタイプのストーブが軒並み売り切れてました。

温風はファンヒーターのように来ませんが、反射板のは部屋の空気全体が温まるような感じがします。

とても便利なので、じんわり部屋を暖かくしたい方にはお勧めです。

電気止まっても灯油があれば大丈夫ですしね。

天板の上に薬缶を置けばお湯も沸かせますし、簡単な物の温めとかも出来るので重宝するんですよ。

私の子供の頃はいわゆる「だるまストーブ」ってやつで、よく祖母が天板で甘酒を作ってくれましてね。

熱々の甘いのを飲んで温まったり、サツマイモをアルミホイルで包んで焼き芋をしたり、煮物やカレーなんかを煮込んでくれたり。

いい思い出です。

 

 

そんな幼少期の思い出もたくさん詰まった実家なんですが、父がこの世を去った後に処分したんです。

知り合いの専門家にも意見を求めて見てもらったりもしましたが、そのまま引き続き住もうと思うと家自体が古すぎて全体を基礎からやり直す、もう全部を建て替えなきゃいけないレベルだったのと、間口の広さで税金が決まっていた時代の名残か、所謂「ウナギの寝床」と言われる敷地でして、間口が奥行きに対して非常に狭く隣家との隙間がゼロ距離で、建物を今の法令や耐火の問題に合わせて直そうとすると間口が益々狭くなる、そこに私と妻の車の駐車スペースの確保が必要で、さらに終の棲家とするなら老後も見据る必要があるという事情も考慮しなきゃいけない制約の中、どれかを立てると何かが立たなくなるという相反する大問題がいくつもあったことなどが主な理由です。

その他理由もあるんですが、少しだけ申し上げておくと…決して金銭的なことが絡むことじゃない、極めて私的な問題なので、そこはすみませんが割愛させて下さい。

ただ、場所だけはすごく良くて、私の住む街の人に実家はどこかと聞かれて〇〇ですと答えると、全員がすごい街の中心だなぁって言うとこなんです。

そんな場所なので周辺の駐車場の相場も高く、そもそも空きがほとんど見つからないですし、建て直して家を作っても車は置けないから月極で駐車場を借りるというのも…二重に費用がかかることになってしまいますし…。

私もその家に20代中頃まで住んでましたのでホントに色んな思い出が詰まった家でしたし、何より父が愛した家だったので、その後をどうするのか、建て直して私たち夫婦で住むのか、それとも手離すのかを散々数か月悩んだ結果の決断でした。

 

最終的に手放す決断をし、買い手は幸いなことにすぐ見つかりました。

父が亡くなってから誰も住む人間のいなくなった実家を、有休を使いながら丁寧に3か月かかって片づけをし、次の方に家の鍵を渡した時には、久しぶりにですがお恥ずかしながらちょっと涙が出たのと、実家から我が家に移した仏壇に手を合わせ、ご先祖様に詫びをしたのを、昨日のことのように思い出します。

父が亡くなって、もう4年以上経つのか…。

 

そんな私の元実家ですが、その後もなぜかずーっと建物残っていたんですよ。

相手に渡った家なので、どのような理由かは私の知る由もありませんが。

出かけた時なんかにわざと実家の前を通ったりして、「おー、まだ家残ってるな」なんて思って見てたりしたんですが、ついに先日、解体工事が始まりました。

用事で近くに行った妻が教えてくれまして、私も見に行ってみたんですよ。

解体の途中で、家の表の方はほぼ全部無くなってました。

場所も場所で長々と見ることも出来ず、この後どうなりますかなんて聞く筋合も無い立場ですのでちらっと見ただけにしましたけど、作業員さんがせっせと解体してましたね。

父が私と弟の成長を柱に傷を付けて目印をしてくれていた、昔の家あるあるの柱も撤去されてまして…。

 

ホントに昔の、隙間風の入る、明かりが入らなくて暗い、屋根が低くて梁に頭を何度も打って腹が立った、いい思い出ばかりかって言われるとそんなことも無く、特に20歳を過ぎてからは色々ホントに嫌な思い出の方が多かったというのが正直なとこなんですが、小さい頃に父と私と弟と3人布団を並べて寝た、朝起きると祖母が作ってくれるご飯の匂いがして、エアコンも無く暑い夏に扇風機だけで過ごした、暗い居間に家族が集まってみんなでご飯を食べた、ボロい家でしたけど曾祖母・祖父母・父と私と弟と過ごした家でした。

二十歳を過ぎてからは繁華街が近いこともあってよく飲みに出かけまして、飲んだ帰りに中華料理とか寿司とかを買って、家で横になって休んでた祖母や父に声をかけて一緒に飲みなおしたりしたのも、今になればいい思い出ですわ。

妻と付き合うようになってしばらくしてから家を出て同棲を始めたので、もう間もなく実家で過ごした時間よりも出て行った後の方が長くなりますが、それでもやっぱり実家が無くなるっていうのは、それがたとえ私の決断の結果だとしても、やっぱり寂しいものですね…。

 

 

正直にお話すれば、実家を手放す決断が正しかったのかどうかは、未だに分かりません。

しかも、私の家は私の家系の本家で、分家の昔の代の人達はみーんなこの家から出ています。

そんなこともあったので余計に色々と悩んだんですよ。

あんまり言いたくないですけど、分家の中には色々喧しい方もいますんでね。

勿論家を手放すにあたって弟にも相談しましたが、弟は「俺は家を出て別にもう家を構えてるから兄貴の決断に任せる」と。

本家だからどうだとか、分家が口出すなとか、私にとっては時代錯誤に思えるそんなおかしな事を言うつもりもありませんが、どうすれば、一体何が正解だったんでしょうかね、私は。

父は遺言を残していましたが、家のことは何一つ書いてなかったんですよ…。

なぁ父さん、そこもちゃんと書いておいてくれよ、マジで。

俺、マジで胃が痛くなるまで悩んだのよ?

 

 

これで昔を思い返す場所が正式に無くなりました。

弟は大学から東京に行き、今は関東某所に家を建てて家族で住んでいるので、私の行ける場所ではありませんし、戻れる場所っていう表現も色々おかしいですが、私には今の家しかありません。

まぁ今帰れる家があるっていうそれだけあれば本来十分なんですけど、実家があるっていうのと無いのでは、気持ちの面で何か違うんですよね。

すごい複雑な気分です、今。

 

さっきもお話したように、いい思い出ばかりじゃない実家でしたが、色々な思い出をありがとうってことだけは言いたくて、今回はこの話題にしてみました。

そして、長い間我が家の歴史を共に見続けてきてくれた家に、さようならを言えればと思いまして。

長い間、本当にお疲れさまでした。

 

自分で書きだして話をしておいてどんなふうに締めるのが適切なのかも思いつかないままですが、今回はこんなところで強引に終わろうと思います。

皆さん、実家って心の支えみたいなところがありますから、是非大事にして下さいね。

ではまたお会いしましょう。